ポケット・ミクやeVY1 Shieldの心臓部として搭載されている約12mm×12mmの小さなIC、NSX-1。この中には歌う音源eVocaloid、GM音源、XG相当のエフェクト、それにRASという音源が入っているトンでもないチップです。小さいから、チャチなものと思いがちですが、その音を聴けば、高音質な最新のシンセサイザエンジンであることはすぐにわかるはずです。
このチップを搭載してしまえば、簡単に高性能な電子楽器ができる、とも言えるわけですが、ヤマハによれば、この夏以降も複数メーカーがNSX-1チップを搭載した機材の発売を予定しているのだとか……。そこで、改めてこのNSX-1とはどんなものなのか、その開発された目的や背景なども併せてヤマハに話を聞いてみました。
約12mm×12mmという小さなIC、YAMAHAのNSX-1(型番:YMW820)
今回話を伺ったのは、ヤマハの楽器開発の事業部ではなく、半導体事業部。「ヤマハが半導体作ってるの?」と不思議に思う方もいると思いますが、お話を伺った執行役員の藤井茂樹さんによると、「1960年代後半、エレクトーンなどの電子楽器を開発する上で、いい音を作り出すためにはICから内製する必要がある、という判断があったのです。まだアナログのICの時代でしたが、そもそも楽器に適したICなどなかったし、外に頼んでも期待したものができなかったからです」と、かなり古くから半導体に取り組んでいたとのこと。
ヤマハ株式会社 執行役員 IMC事業本部 本部長 藤井茂樹さん
「その後、半導体の開発を核にしてDX7のようなデジタルシンセサイザやMSXのようなパソコンも生まれてきました。しかし、ヤマハの半導体が世界的に大きく広がったのは、携帯電話用の音源チップです」と藤井さん。そう、ご存じの方も多いと思いますが、まだガラケー中心の時代、ほとんどの携帯電話にはヤマハのFM音源チップが搭載され、圧倒的なシェアを握っていたのです。しかし、時代はガラケーからスマホ中心の時代に。そこでは、従来のFM音源チップは採用されなくなっていきました。
藤井さんが入社当時手掛けたのはMSX用のFM音源ユニットSFG-01で動く音声合成システム、FM MUSIC MACRO
入社して間もないころ、MSXのFM音源ユニットを使って音声合成をする「FM MUSIC MACRO」の開発を手掛けていたという藤井さん。その後、ヤマハの研究開発部門でVOCALOIDのプロジェクトなどもマネージメントしてきたそうですが、2008年に研究開発部門から半導体事業部に異動した後、「楽器メーカーのヤマハとして音源チップをレベルアップしたい。また新しい価値を与えたい」という思いから2009年4月にスタートさせたプロジェクトがNSX-1の開発だったそうです。
NSX-1プロジェクトの立ち上げと同時に参加した半導体事業部 営業部 市場開拓担当次長の松原弘明さん
ちょうど、そのプロジェクト始動と同じタイミングで半導体のプロとして転職して入ってきたのが半導体事業部 営業部 市場開発担当次長の松原弘明さんでした。
「まさにスペック決めから行っていったのですが、藤井とのアイディア出しで内容は簡単に決まっていきました。もともとDAC(D/Aコンバータ)は入れないと決めていたし、そもそも、NSX-1の面積の大半はRAM(メモリー)で、そこにCPUを搭載したという構成。ここにボーカロイドを入れよう、RASを入れよう……と考えていったのです。GM音源やXG音源エフェクトについては、多少モディファイはするものの社内資産としてあるので、それを組み込むだけ。これが完成すれば、物凄い威力を持ったチップになるはずだ、という確信はありました」と松原さん。
ボーカロイドを搭載するにあたっては、やはりPC版のVOCALOIDとはシステム的にいろいろな違いがあり、これとまったく同じ品質のものと誤解されるのもマズイということから、ボーカロイドの父、剣持秀紀さんと相談の上、「eVocaloid」と命名したのだとか……。VOCALOIDとeVocaloidの違いについては、先日詳しく記事にしているので、詳細はそちらをご覧いただければと思います。
実は、その松原さんが2009年4月にヤマハに入社した際、NSX-1プロジェクトの統括とともに、中国向けに半導体マーケットを開拓するというプロジェクトも兼務で任されました。以前の会社では中国で音源チップの開発、マーケティングを行っていた経験が買われたからなのですが、
「NSX-1に搭載されるRASについて初めて知って、音を聴いたときは『何じゃこれ!』と思いましたよ。私自身、ジャズミュージシャンとしての活動もしているのですが、こんなすごい音が出せるとは驚きでした。これこそヤマハらしいチップだ、ってね。そこで、これを中国のテレビに搭載したらいいのではないか、と考えたのです」(松原さん)。
RASの詳細については、別途取材しているので、改めて記事にする予定ではありますが、先日も見せた上のビデオがRASを使っての演奏ですね。でも、そのNSX-1とテレビという結びつきがピンときません。
「中国
の農村ではまだ楽器がほとんど普及していません。そうした中、当時爆発的に
もし、このテレビにNSX-1を搭載し、これを電子楽器として使えるようにしたら、エンターテインメントとしても、教育的にも凄いことになるんじゃないか……、そう考えて行けると思い、各テレビメーカーも乗ってきたんです。が一つ、大きな誤算がありまして、彼ら、NSX-1を動かすプログラムを作るスキルがなかったんです。我々が請けるとなると、それこそテレビの根本からの開発になってしまうので、ちょっと違うだろうということで、やむなく撤退したんですよ」と苦い顔で語る松原さん。
2012年に発表されたMiselu Neiroのプロトタイプもうひとつ世の中に登場せずにペンディングになってしまったのが、DTMステーションでも以前何度かとりあげたMiseluのAndroidマシン、Neiroです。まさにNSX-1を目玉にした楽器コンピュータのような機材でしたが、結果的に製品自体が世の中に出てこなかったんですよね……。
デジタルコンテンツEXPOで参考出品された「あいうえおキーボード」
そんな紆余曲折はあったものの、もちろん国内外の携帯へのNSX-1搭載も狙っているし、家電や玩具など、さまざまなものへの搭載を狙って動いているようです。とくに玩具というのは大きなターゲットのようで、NSX-1の実質的な初お披露目となった2010年のデジタルコンテンツEXPOでは、「あいうえおキーボード」という歌う楽器オモチャの展示も行っていました。
2011年4月にNSX-1プロジェクトに参加し、ポケット・ミクやeVY1 Shiledなどの開発をサポートしてきた浦純也さん
そうしたメーカーへのサポートの第一線に立ってきたのが半導体事業部 事業企画部 事業企画グループ課長代理の浦純也さん。
浦さんが開発したNSX-1搭載のUSBドングル、「ウドン」。左がDACなし、右がDAC付。
浦さんは、NSX-1チップの試作第1号ができた11年4月にNSX-1のプロジェクトに参加。そこで最初に手掛けた仕事が「ウドン」だったのです。そう、以前の記事でも触れたことがありましたが、NSX-1を搭載したUSBドングルということで、「ウドン」。これはPCに接続すると、PC側からはUSBメモリのように見えるというデバイス。ここにeVocaloidの歌声ライブラリをコピーすれば、それがNSX-1へ転送されて歌うようになるし、RAS=Real Acoustic Soundのデータを送ればサックスになったり、ピアノになったりするシステムになっているのです。
このウドンにはDACを搭載し、そのまま音が出せるバージョンと、DACなしでNSX-1から出てくる音をPCにデジタルオーディオ信号のまま取り込むことも可能にしたバージョンがあるとのことですが、いずれもNSX-1でどんなことができるのかをデモできるのとともに、NSX-1を使った製品を作るための開発ツールとして利用できるということで、浦さんが作ったものなのです。
そのウドンをもって2011年7月に学研の大人の科学編集部に営業に行ったのが、ポケット・ミク誕生のキッカケだったそうです。ただ、そのときはeVocaloidではなく、RASのほうのデモをしたのだそうですが……。
NSX-1にある80ピンの端子とCPUを1つずつ接続可能なボード、ザルソバ
さらに、その浦さんが、ウドンの次に作ったのは、なんと「ザルソバ」。かなり“こじつけ”のような気もしますが(笑)、これは「the Rusoba」=the Real acoUstic Sound Operation Board with Ampの略なんだとか……。
写真を見ると、NSX-1が搭載された基板のようですが、これを配線すると電線がグチャグチャになってザルソバのようになるんだとか……。
「ザルソバはNSX-1とDACから構成されるボードで、CPUボードとジャンパーで接続して動作させることができる開発用のツールです。学研さんのところに2台あり、これを使ってポケット・ミクの開発を行ってきました。さまざまなCPUと接続することが可能ですが、非常に相性がいいのが台湾のGeneralplus社のCPU。NSX-1と組み合わせて使うと非常にいいのです」と浦さんは話します。
このGeneralplusのCPU、ARMコアのもので、これ単体で音も出せるし、NSX-1へ1.2Vの電源供給もしてくれます。さらに、FirmWareのダウンロード、つまりNSX-1のメモリーへeVocaloidのライブラリデータをRASのライブラリーデータを転送する時間が短く、動作が速いのでNSX-1と組み合わせるにはうってつけ、というわけなんですね。
このようにして生まれてきたNSX-1とそれを活用するためのツール類。プロジェクトスタートの2009年から数えると、ずいぶんの期間がかかってきたんですね。個人的には、ぜひ「ウドン」の製品化を望みたいところですが、今後NSX-1を搭載した製品としてどんなものが誕生してくるのか、とても楽しみなところです。
【関連情報】
YMW820(NSX-1) MIDI仕様書
NSX-1に関するヤマハのプレスリリース
Yamaha-WebMusic GitHubPage
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