10月21日、東京・青山にあるBlue Mountain Studioにおいて、NEUMANN(ノイマン)とDolby Japan(ドルビージャパン)がコラボする形でのセミナーが開催されました。これは9月に行われた同様のセミナーの2回目とのことで、レコーディングエンジニアの古賀健一(@kogaken1207)さんをメイン講師に招いてDolby Atmosの作品をどう作っていくかを解説する、というもの。
最近、さまざまなところで話題になるDolby Atmos。Logic Pro XさらにはStudio One Professional 6.5でも標準搭載され、DTMユーザーでも作品作りが可能な環境が整ってきましたが、実際にDolby Atmosによる音楽作品を手掛けている人は、国内ではまだあまり多くないのが実情です。そうした中、Official髭男dism、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Ado……など数多くのアーティスト作品のDolby Atmos作品を作っているのがレコーディングエンジニアの古賀健一さん。その古賀さんによるDolby Atmosセミナーとあって、今回のセミナーにはプロの方々が中心に集まっていたようです。3時間で行われた超濃密なセミナーとなっていましたが、そのエッセンスをかいつまんで紹介してみたいと思います。
東京・青山のBlue Mountain StudioでDolby Atmosのミックスに関するセミナーが行われた
今回のセミナーは13:00-16:00の第一部、17:00-20:00の第二部の2回行われ、各回12名の定員で同じ内容となっていました。主催したゼンハイザージャパンによると、募集を始めてすぐに満員となってしまったようですが、やはりDolby Atmosへの関心度は高くなっているようです。
NEUMANN、K&H、Sennheiserの関係!?
このセミナーは合計で3時間となっていましたが、最初の30分でNEUMANNのモニタースピーカー製品に関する紹介、次の30分でDolby Atmosに関する基本的知識やDolbyのガイドラインに関する紹介、そして後半2時間で古賀さんによるセミナー、というプログラムになっていました。
NEUMANNのモニタースピーカーに関してはDTMステーションでも「自宅をレコーディングスタジオに作り変えるNEUMANNのモニタースピーカー、KH 80 DSPのキャリブレーションを試してみた」や「自宅でも使いやすい5.25インチウーハーのNEUMANN KH 120 Ⅱを使ってみた!続々登場のキャリブレーション対応モニタースピーカー」といった記事で何度か紹介してきましたが、最近NEUMANNのKHシリーズを導入するユーザーはプロやハイアマチュアを中心にかなり増えているようです。
Blue Mountain StudioにはKH 80 DSPとKH 810による7.1.4chの環境が構築されている
今回会場となったBlue Mountain Studioは、このKH 80 DSP×11台とサブウーファーのKH 810で7.1.4ch環境が構築され、常設されているスタジオということで、セミナー会場に選ばれたようです。
最初のNEUMANNのセッションでは、そのKH 80 DSPなどのラインナップが紹介されたのですが、その前にNEUMANNのスピーカーに関する歴史なども披露されました。この辺については、以前「あのNEUMANNが打ち出すDSP内蔵、小型モニタースピーカー、KH80DSP誕生」という記事の中でも少し紹介したことがあったものの、「なんでNEUMANN製品をSennheiser(ゼンハイザー)が扱ってるの?」と不思議に思う方も少なくないと思います。
NEUMANNは1928年にドイツで設立された歴史あるメーカーですが、1991年にSennheiserが買収して現在は、Sennheiserの中の一部門という位置づけになっています。一方で放送局などで使われてきたモニタースピーカーを開発するKlein+Hummel(クライン&ハンメル)というメーカーが1945年に設立されており、この会社も2005年にSennheiserに買収されて、現在はNEUMANNの部門の中に統合されているんですね。これまでの蓄積を元にKHシリーズが開発され、NEUMANNブランドとして発売されたわけですが、このKHはKlein+Hummelから来ているというわけです。
Sennheiser、Klein+Hummel、Neumannに関する歴史
その確かなサウンドや、MA 1というマイクを使ってDSPでキャリブレーションできることから、Dolby Atmosなどイマーシブ環境を構築するモニタースピーカーとして、世界的に幅広く使われるようになっているのです。
Bedとオブジェクトを併せて最大128入力のDolby Atmos Renderer
続いてのDolbyのセッションでは、これまでモノラルからステレオ、サラウンド、そしてイマーシブへと発展してくる中、5.1chや7.1chなどのサラウンドまではチャンネルベース、という考え方で音が構築されていたのに対し、Dolby Atmosなどのイマーシブではチャンネルベース+オブジェクトべースという考え方へと切り替わったことが解説されました。
Dolby Atmosのサウンドを一役を担うソフト、Dolby Atmos Rendererでは最大128の入力があり、その中は7.1.2chのBedと最大118のオブジェクトという構成になっています。ただ、ちょっと変わった使い方として7.1.2のBedを複数セット作ることも可能という話題も出ていました。
トータルで128chまで扱えるため、7.1.2のbedsを2セット作ると、オブジェクトは108まで、3セット作れば98までという数になるため、アイディア次第でさまざまな使い方ができそうです。
Dolby Atmos Rendererについて解説していたDOLBY JAPANの藤浪崇史さん
一方、そのDolby Atmos Rendererは現在、v5.1となっているのですが、このバージョンでヘッドトラッキングにも対応したとのこと。Appleの空間オーディオでは、すでにAirPodsProと組み合わせたヘッドトラッキングが搭載されていますが、Dolby Atmos Renderer自身にも搭載されたことで、今後ヘッドホンによるモニタリングなどが、よりしやすくなりそうです。会場では、NEUMANNのモニターヘッドホン、NDH 20にイギリス製のヘッドトラッキングセンサーを取り付けたデモが行われており、来場者のみなさんも頭を動かしながら音を確認していました。
映画『20歳のソウル』の主題歌を題材に行われた古賀健一さんのセミナー
さて、ここからが本編となる古賀さんによるセミナー。あまりに盛沢山な内容だったので、その一部を紹介する形ではありますが、ここでは2022年に公開になった映画『20歳のソウル』の主題歌、Kenta Dedachiさんの「Jasmine」という曲が題材に使われました。
もちろん、この曲はレコーディングとミックスを古賀さんが担当。そのマルチデータに映画のエンディングの映像も含めた形で披露されつつ、中身の解説がされたのです。
そのレコーディング自体はビクタースタジオの401、通称サザンオールスターズスタジオで行われた、とのこと。「その理由はHallのような3点吊り(2ch)の機構があり、それを動かしながら使えるから。またドラムブースの壁が少しコンクリートっぽくなっていて、響きのあるチャンバーみたいな使い方ができるのもいいし、ピアノはフルコンでいいんですよね。また、このときストリングスの編成は4・4・4・4にしてもらいました。やっぱり空間オーディオになってスピーカーの数が増えると、従来のステレオでは表現が難しかったチェロとかビオラがとても良く聴こえてくるんですね。ステレオだと、どうしてもいろいろな音に打ち消されてミックスが難しかった音がハッキリと聴こえる。今回コンバスはいないのですが、僕はチェロに1本ずつマイクを立てる派で、その辺も含めてしっかり音が出せるのがDolby Atmosのいいところですよね」と古賀さん。
「ドラム、ベース、アコギ、ピアノ、ストリングスとシンセが少しというスタンダードな構成。普通ならフォーリズムを一緒に録れるセッションですが、あえて分けて録りました。まずドラム、ベースを録り、そのあとにピアノ、それから弦という順番ですね。その都度天井のマイクに対してピアノの位置をどこにしようかとか、ドラムの位置をどこにしようか…と試行錯誤しながら録音しました。マイクも必然と多くなり、トラック数は膨大ですね。」(古賀さん)
SennseiserのAMBEO VR Micをよく使っていると話す古賀さん
さらに、古賀さんが強調していたのがSennheiserの1次AmbisonicsマイクのAMBEO VR Micを2本利用していたという点。これは1つのマイクの4つのカプセルがあり、4方向の情報を録れるけれど、4つすべてを足すと無指向のモノラルマイクとしても使えるから非常に便利で、プラグインを利用すればここから7.1.2や7.0.4とか、5.1、7.1なども作れるので、とても重宝するという話も出ていました。
HARPEXというプラグインを利用することでAMBEO VR Micで録音した音を自在に展開できる
Dolby Atmosの広い空間でミックスしてからステレオをミックス
さらにさまざまなノウハウの話が出た後、後半はミックスの話に。古賀さんによると映画自体はDolby Atmosではなく5.1chであったということもあり、最初にDolby AtmosのDownMixから5.1chを作り、それでイメージの下地が固まってから配信用のDolby Atmosを再調整、最後にステレオのミックスも行っていったとのこと。
「音楽のDolby Atmos作品作りって、最初に2chのステレオを作り、そこからステムを取り出し、さらに再配置してDolby Atmosにしていくのがスタンダードだといわれています。でも僕はそれが好きではないんです。何でかというと、ちょっと語弊はあるかもしれないですが、僕らは長年2chステレオという世界に閉じ込められている。僕がこの業界に入ってからLとRで音楽を表現するということが決まっていた。まあ5.1chとうのはあったけれど、音楽ではそれがスタンダードにはなりませんでした。でも音楽表現って本来もっと自由なもので、音作りも自由だし、ミックスも自由です。でもいつの間にか2chという世界に僕たちはいて、そこでミックスは発展してきたし、いろいろなワザをみなさんも持っていると思います。でも、それでミックスした後に分散させたとしても、1回ギュッと縮めてしまったものを再配置していると、本来そぎ落とされなくてよかったものもそぎ落とされている可能性があるんです。だから僕はDolby Atmosからやって、Dolby Atmosでめいっぱい広げたものを、あとからどうやってステレオに落とし込もうかと、逆の悩み方をするんです」と古賀さん。
セミナーには多くのプロエンジニアが参加していた
「ただ、中にはオブジェクトを大きく動かした音源は、バイノーラルにぶち込んじゃうこともあります。本来のステレオではないかもしれないけれど、今はイヤホン/ヘッドホンで聴く人たちが大変多いので、そうした人にはかえってそのやり方が通じるかもしれない。そんな風に悩みながら作っていくんです。とはいえ、ステレオの概念もあまりよく分かってない若いアーティストと一緒にDolby Atmosから始めちゃうと、さまざまな可能性がありすぎてミックスチェックが終わらない(苦笑)。あれやりたい、こういう動きできますか?こういうのってどうでしょう?……てすぐに1日が終わっちゃいます。でもとても刺激的な時間です。」(古賀さん)
その後、ラウドネスの設定の話など細かな数値も出しながらの説明があり、最後にちょっと面白い実験が。前述の通り、このBlue Mountain StudioではKH 80 DSPで聴いていたのですが、L/C/Rの3つのスピーカーの横には一回り大きいKH 150が置かれていました。最後にスタッフが入ってきて、これら3つのスピーカーのケーブルをすべてKH 150へとつなぎ変えたのです。
スタジオにはKH 80 DSPとKH 150が並んで設置されていたのだが…
そして、何の調整もせずに再度、Dolby AtmosのJasmineを再生してみると……、何の違和感もなく普通にいい音で聴こえるんですね。
「KHシリーズはシステムレベルがすべて統一されているから、同じ設定にしておけばスピーカーを入れ替えても音量感が変わらないんです」とゼンハイザージャパンの真野さん。
ゼンハイザージャパンの真野寛太さん
「サブウーファーに低音を頼ってしまうと、バイノーラル再生時に低域が思ったとおりに再現されないことが多いんです。LFEってあくまでもオプション扱いだからななんですよね。だから音楽ミックスL/C/Rに大きくしっかり低音が出るスピーカーを使った方がいいケースがほとんど。そんなときに、簡単に入れ替えられるというのはいいですね」と古賀さん。
古賀さんのセッションだけで2時間あったので、さまざまなプラグインの設定例なども紹介されていましたが、ここでは大枠部分を軽く紹介してみましたが、いかがだったでしょうか?今後Dolby Atmosでの制作は、一般のDTMユーザーも含め、どんどんと増えてきそうなので、さまざまなノウハウも生まれてくると思いますが、ステレオとDolby Atmosをどう作り分けるかなど、示唆に富んだセミナーだったと感じました。
【関連情報】
KH 80 DSP製品情報
KH 150製品情報