グラミー賞を目指して、スウェーデンに!? 世界トップクラスのミュージシャンが集まるストックホルムでco-writeをする意義

ミュージシャンとして、音楽家として生きていくなら、グラミー賞を目指したい、そんな夢を抱いている人は少なくないかもしれません。もちろん不可能と最初から諦めるのも1つの手ではあるけれど、わずかな可能性に賭けて海外に出ているというのも1つの手。そんな思いを胸に毎年1か月、ストックホルムにco-write(コーライト:複数の人が集まって共同で音楽制作すること)をしに出掛けているのが、宮田’レフティ’リョウ@LeftyMonsterP)さん。ご存知の方も多いと思いますが、レフティさんは、さまざまなアーティストの作品に作詞・作曲・編曲という形で参加する一方、Official髭男dismのサポートメンバーとして各地のライブに飛び回ったり、マニピュレーター、キーボーディスト、ギタリスト、そしてベーシストとしても活動する売れっ子ミュージシャンです。

実は、そのレフティさんに今年2月にインタビューをしていたのですが、なかなか記事にまとめられずにいたところ、さらに次の展開として会員制のオンラインサロンなるものをスタートさせるという話を聞きました。それを本日「オンラインサロンはコロナ禍のミュージシャンを救う手立てになるのか?会員制の配信サービスを始める宮田’レフティ’リョウさんに聞いてみた」という記事にしているのですが、そのバックグラウンドともいえるレフティさんのco-writeへの取り組みなどについてのインタビューも同じタイミングで記事にしてみました。
宮田’レフティ’リョウさんは、年に1度のペースで1か月間ストックホルムに行ってco-writeを行っているという


ーーまずはレフティさんが音楽を始めたキッカケというか、生い立ち的なところから伺えますか?
レフティ:プロではないですが母もピアノを弾いていたので、幼少期からなんとなく興味を持っていて、自分からピアノを習いたいと言って、ヤマハ音楽教室で最初はエレクトーンを習っていたんです。小学校5年くらいまでやっていましたが、そこでピアノに転向。ただクラシックは気が進まず、すぐにやめちゃったんですね。中学校2年のころにバンドブームが到来して、バンドを結成して、イエモンやブルーハーツのコピーなんかをしてたんです。その当時はキーボードとしてプレイしていました。昔からパンクが好きだったこともあって、高校に入ってからベースに転向し、学校外でバンドを組んだりして活動していました。ヤマハ主催のTEENS’MUSIC FESTIVALでZepp Tokyoでも演奏したんですよ!
ーー実際にプロとなったのはいつごろだったんですか?
レフティ:そのTEENS’MUSIC FESTIVALに出たバンドで19歳のころにインディーズデビューをしました。が、まったく売れずに、7年間の活動の末、あえなく解散しました…。当時のボーカルのコバヤシユウジは今も音楽プロデューサーとして活躍しており、絶対直球女子!プレイボールズのプロデューサーなどをしていました。今でも一緒に仕事をします
(※注 コバヤシシュウジさんはレフティさんが、先日発足させたクリエイターチーム「REVEL MUSIC」の一員でもある)

今年2月に以前のスタジオでインタビューしたときの宮田’レフティ’リョウさん
--レフティさんがDAWを使うようになったキッカケなども教えてもらえますか?
レフティ:20歳のころ、エンジニアさんから「バンドメンバーにDAWができる人がいるべきだ!」と言われ、DAWの手ほどきを受けたんですよ。その時使ったのがCubase SX3だったかな…。エンジニアさんに言われるがままにそれを買って、覚えていきました。当時DAWを使って曲作りをしているバンドはほとんど見かけませんでしたね。ライブでも早い段階からシーケンスを使っていました。ただ、Cubaseをライブに持ち込むのはリスクがありすぎるので、一番ひどいケースだとLチャンネルにクリック、Rチャンネルにシーケンスを入れたCDを焼いて、CDウォークマンで再生する、なんてこともやってましたね(笑)。途中で止まったりして、いろいろ大変でしたよ。その後KORGのハードディスク内蔵のMTRを使ったりもしたけれど、最終的にはiPodに落ち着いたんですよね。
ーーレフティさん、マニピュレーターとしても広く活躍されていますが、その当時から試行錯誤を続けていたわけですね。そのバンド解散後は?
レフティ:路頭に迷いまして、サウンドクリエイターとしてゲームソフト会社に就職できないか……とも考えました。たくさん履歴書を送りまして、セガさんだけは面接まで行ったんですが、恐らく筆記試験で落ちました(笑)。そんなことをしている中、音楽プロデューサーでギタリストの松岡モトキさんから「マニピュレーターをやってくれないか?」って声をかけてもらって、即答で「やります!」と。ライブのマニピではなく、制作でのオペレーションが中心でしたが、いろいろなアーティストの仕事をご一緒しました。その中にケラケラというユニットがあったのですが、当時のマネージャーから「宮田くん、キーボードも弾けてPCもできるんだからライブも手伝ってよ」と言われ、ライブにも参加するようになりました。実はそのケラケラと同じ事務所という繋がりから、その後、Official髭男dismのサポートメンバーもするようになったんですよ。

レフティさんがOfficial髭男dismのライブに持ち込んでいるシステム
ーー一方で、レフティさんといえば、ボカロPとしての知名度も大きいじゃないですか。
レフティ:ちょうどVOCALOIDが流行っていたので、レフティーモンスターPという名前でボカロPをやってみて、ニコニコ動画に投稿したんですよ。まったく違う人格として、それまでの活動とは一線を画す形でやってみたのです。そうしたら、思いのほか聴いてくれる人が多くて驚きました。Twitterもどんどんフォロワーが増えていって……その延長線上で、伊東歌詞太郎と、イトヲカシというユニットを結成し、エイベックスからデビューしました。まあ、そのころになって、あまり名前を分ける必要もなくなって、現在の宮田’レフティ’リョウという名前にしています。
--そこから先は、本当に活動が多岐に渡っているわけですね。レフティさんのWebサイトのWORKSを見ても、あまりにも膨大すぎて、全体像がまったく掴めません。この先、どっちの方向に進んでいくんですか?
レフティ:ありがたいことに、その後はライブの仕事、楽曲制作の仕事、プロデュースの仕事、そして演奏の仕事……といろいろな仕事をいただいて活動しています。でも、いろいろな仕事をする中、精神衛生上、何か活動のバイタリティとなる夢があったほうがいいなと思うようになったんです。そこで、一等賞を取るという意味で「グラミー賞を取る!」と夢を描き、会う人会う人に宣言し出したんですよ(笑)。

レフティさんのOFFICIAL SITEのWORKSにある作品の数々
ーーグラミー賞って、いきなり唐突な気もしますが……。
レフティ:自分の生み出した、愛すべき作品たちを、もっと多くの人たちに聴いてもらい、評価してもらいたいと思うんです。まあ、いい音楽か悪い音楽かは、聴く人の尺度で判断するものだから、なかなか点数をつけるのは難しいことです。でも、音楽でも絵でも、有識者が「いい」と言ったものが注目され、評価され、過去の作品もその先の作品も聴かれるじゃないですか。だから目標として、「グラミー賞を取る」と言い出したんです。ただ、それからものらりくらりとやっていた。ふと、自分でグラミー賞を取ると言ったのに、そのための努力をしてないじゃないか!と我に返ったんです。僕も短絡的なんで、「じゃあ、海外行くか!」と思い立ったんですよ。

グラミー賞を目指して、突如スウェーデン行きを決意
ーーまたすごい急展開ですね!
レフティ:思い立ってすぐに、松岡さんに相談してみたんです。というのも、松岡さんはBONNIE PINKのプロデュースをやっていたころに、The Cardigans(カーディガンズ)のプロデューサーのTore Johansson(トーレヨハンソン)と仕事をしていたと聞いていたので。するとトーレヨハンソンがいるスウェーデンの話がいろいろとでてきたんです。一方で、たとえば嵐の曲とかの作曲者を見ると、外国人の名前をよく見かけるじゃないですか。ググるとスウェーデン人だったりするんですよね。そこで、アメリカやイギリスじゃなく、スウェーデンに行ってみよう!と決めたのが3年前。何のツテもなさすぎたので、会う人会う人に「スウェーデンに行くんだけど、知り合いいませんか?」って聞いて回ったんです。ニルギリス岩田アッチュさんにRasmus Faber(ラスマス・フェイバー)というアニメの世界でも著名なミュージシャンでDJを紹介してもらったり、co-writeのパイオニアであり、修二と彰の「青春アミーゴ」の作曲などで知られるShusuiさんから、スウェーデン人ライターたちが所属する出版社のSP(サブ・パブリッシャー)を紹介してもらったりと、さまざまな方にサポートしてもらう形で、2018年の初夏に初めてスウェーデンに行ってきました。

知人のサポートをもらいつつも右も左も分からないままに一人ストックホルムへ…
ーーやっぱりレフティさん、アグレッシブ過ぎですね!
レフティ:ちょうど、他の日本人ライターがco-writingセッションでストックホルムに来ている時期だったので、その流れでコーディネーターにアテンドしてもらったんです。実のところco-writeの経験自体あまりなかったのですが、Shusuiさんの紹介ならと、セッションを組んでもらったら、会う人会う人、すごい経歴の人ばかりで圧倒されました。例えばSamuel Waermö(サミュエル)という人はBON JOVIに曲を書いたことがあったり、Fredrik “Figge” Boström(フィゲ)のスタジオのギターを借りてライティングしていると、「Backstreet BoysのI Want It That Wayを知ってるか?あの曲のイントロはそのギターでレコーディングしたんだぞ」なんて言われて、驚きの連続でしたよ。あるとき、公園でぼーっとしてたら、隣に女性が座ってきて「観光に来たの?」って日本語で声をかけられたんです。聞いたら日本語学校に通っていたらしいのですが、「ソングライティングをしにきたんだ」って返事をしたら、「日本人とスウェーデン人のハーフのマイア・ヒラサワって知ってる?」って。もちろんよく知っていて、日本でスウェーディッシュポップが流行ったときに、すごく売れていて、メチャメチャ好きだったんですよね。そうしたら、「マイアは日本語学校時代のクラスメイトだから紹介してあげる」ってことになり、その場で連絡したら、「GIGがあるから見においでよ」って話になり、ライブを見たあと挨拶したら、「明日空いてるからセッションしよう」ということになって……。

フィゲさんとco-writeをするレフティさん
ーーレフティさんがラッキーすぎるのか、スウェーデンの世間が狭すぎるのか……。
レフティ:スウェーデンってすごい狭い国だし、その首都であるストックホルムって、肌感で言うと五反田と品川と目黒を足した位の広さ。そこにたくさん世界トップクラスのミュージシャンがいる。だからこそ、こんな出会いがいっぱいあったんだと思うんです。翌日、マイアの家でセッションして作った曲は、彼女がすごく気に入ってくれて、スウェーデンでリリースしたい、と言ってくれたんですよ。その後も、彼女はちょくちょく日本にライブしに来るので、そのたびに連絡をくれて、一緒にライティングしているんです。アメリカとかだと、そこに入れてもらうまでの道のりが大変だけど、スウェーデン人って、すごくオープンで協調性を重んずる国民性だから、co-writeに向いているのかもしれません。本当に優しくていいヤツがいっぱい。それからはスウェーデンでのco-writeがすごく楽しくて、夏・冬・夏と行きました。次が4回目。今年も7月にバカンスも兼ねてストックホルムに行く予定なんですよ(※注 2月のインタビュー時の話なので、結局今年は行くことを断念したそうです)。夏のストックホルムは本当に気持ちいい。夜も10時くらいまで明るいですしね。
--ところで、実際のco-writeってどのような流れで曲を作っていくんですか?
レフティ:ケースバイケースではあるんですが、大きく分けるとトップライナーとトラックメイカーという2つの役割で分担して作業していきます。トップライナーとはメロディーをつけて、その人が仮歌も歌うケースが多い。トラックメイカーはプロデューサー役でもあるんですが、僕は主にトラックメイカーですね。作り方はいろいろだけど、僕が好きなのはスクラッチといってトラックを事前に準備せずにその場で曲を作る形。スウェーデンで行うときは、行きの電車のなかで、いろいろな曲を聴きながら、イメージを膨らませておくんです。当然、初めましてのケースが多いので、最初は「お前はどんな曲が好きなの?」って話になる。お互い相手の話をくみ取りつつ、「お前が好きなのと、今朝聴いてたトラックって結構、合うと思うんだよね」なんて感じで進んでいく。今のモダン音楽の構造的には、ループトラックを作ってトップラインを考えながらヴァースだったり、コーラスを作って広げていくんです。そんなテンポで作っていくからフルコーラスをたいてい1日で2曲作るんですよ。朝9時か10時に集まって、お昼を食べる前にフルサイズを作る。歌詞は適当英語だし、トラックも完全ではないけれど、とりあえず仕上げちゃう。さらに、お昼食べたら、もう1曲作っていき4時ごろには終了。とっても健全な仕事ですよ(笑)。

スウェーデンでは、さまざまなミュージシャンとco-writeのセッション
ーーいきなり思い立ってスウェーデンに行って、そこまでのことができちゃうんですね。でもレフティさん、英語は?
レフティ:あまりしゃべれません!何回かライブで渡航したことはありましたが、全然ダメだったので、友達に英会話レッスンをしてもらったりはしたんですが……。ただ音楽を作るとなると、専門用語って共通じゃないですか。Aメロ、Bメロ、サビとかは言わないけど、Aメロはヴァース、Bメロはプリコーラス、サビはコーラスというので、その辺さえ理解すればほとんど同じ。ちなみに大サビはミドルエイトって言うんですよ。というのも間に挟まれている8小節だからなんですね。落ちサビはソフトコーラスとかいいますね。まあ、音楽であれば弾けばいいし、歌えばいいので、何とかなるんです。ただ、飲みに行くときが辛かった(汗)。普通の会話が全然できなくてね……。でも2、3週間程度いたら、なんかだんだん大丈夫だな…って。とはいえ、これからも続けていくために今、英会話のレッスンをしてますよ。帰ってくると忘れてしまうので。
ーー実際、スウェーデンの人たちと曲を作ってみて、感性は合うものなんですか?
レフティ:スウェーデン人が持っているメロディー感というか感性が日本と非常に近い印象なんです。彼らもストレスなくやってるし、「日本ってこんな感じでしょ!」って適当にやってるんじゃなく、感性がマッチして、彼らも日本の音楽が好きなんだと思います。

スウェーデンでは、みんながクオリティーオブライフを大切に生きている
ーー日本との違いってあるものですか?
レフティ:感銘を受けたのは“クオリティーオブライフ”を大切にしているということ。それぞれ自分の時間や、家族との時間を大切にしているので、さっきも話した通り朝9時に入って、遅くても夕方4時には終わるんです。その集中力とスピード感たるや、みんなすごいですよ。時間をかければいいものができるというわけじゃない。ホントに20分で終わったセッションもありますよ。とはいえトップラインのアイディアとか音楽的なインプットとか、いろんな引き出しがないとできない。僕はもともと速いほうだと思っていたけど、スウェーデンに行ったことで、すごくスピード感も上がったと思います。co-write自体は日本でもスタンダードになりつつあって、 co-writing campなんかもたくさん開催されています。ただ、海外でやると、ボーカルは当然、全部英語だから、その時点で、「俺、洋楽作ってる!」って、モチベーションが思い切り上がるんですよ。もちろん、気候や風土の関係もあると思うけど、その部分が日本で行うのと決定的に違うんですよね。
--DTMステーションとして一つ伺っておきたいのですが、スウェーデンに行く際、どんな機材を持っていくのですか?
レフティ:ギターとベースのほかに、RMEFireface UCXとMIDIキーボード、それにモニターとしてiLoud Micro Monitorですね。いつも大荷物になってしまうので、MIDIキーボードは知り合いのライターの家に預けています。そのほか予備としてLINE 6のオーディオインターフェイスであるSonicPortVXを持って行きました。PCはMacBook ProにWindowsをインストールしたマシンを使い、DAWはCubaseを入れてます。曲制作はCubaseですが、ライブでマニピュレーションするときはStudio Oneを使うことが多いですね。

スウェーデンでのco-writeの成果は着実に世の中に作品として出てきている
ーーところで、これまでスウェーデンに行ってco-writeした作品は、その後どうなっているんですか?
レフティ:これまでの作品は日本の出版社が管理してくれているのですが、これまで音源になったものも何曲かあります。はじめてリリースされた楽曲はLeadという3人組のダンスボーカルユニットへの提供曲でした。これは昨年シングルがリリースされたのですが、さっきのフィゲというライターと一緒に作った曲ですね。歌詞については、co-write時には全部英語ですが、日本のアーティストに当てはめる時点で全然違うものになるということは分かっていて、そこは暗黙の了解ですね。
--刺激的な面白い話をいっぱいありがとうございました。ぜひ、レフティさんのグラミー賞・受賞の知らせを楽しみに待っています!

【関連情報】
宮田’レフティ’リョウ presents CO-MUSICATION ROOM(オンラインサロン情報)
宮田’レフティ’リョウ OFFICIAL SITE
REVEL MUSIC – レベルミュージック

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