ローランドが1980年に発売したドラムマシン、TR-808。現在のダンスシーンやテクノサウンドにおいて、なくてはならない機材として、現在、中古市場では高値で売買されています。また一方で、TR-808のサウンドを再現するソフト音源は、本当に数多く存在しています。
その初期のソフトとしてはPropellerheadのReBirthがありましたし、最近ではArturiaのSPARK LEなどが著名です。そのため、TR-808の名前は知っていても、実際に触ったことがあるのは、そうしたエミュレータのみ、という人も少なくないのでしょう?でも、実機のTR-808と比較すると「何かが違う…」と感じている人も多いようです。そうした中、TR-808の音に極限まで近づけてみたというソフトウェア音源、VR-08が日本人開発者、ありぱぱP(@AliPaPa333)さんの手によって生まれました。
Windows VSTi環境で動作するTR-808シミュレータ、VR-08 Pro
ありぱぱP(@AliPaPa333)さん、実は長年DTM、電子楽器の世界でソフトウェア開発を行ってきた、フリーのエンジニア。さまざまなメーカーのソフト開発、ファームウェアに携わってきた方なので、知らず知らずのうちに、彼が手がけたソフトや製品を使っていたということも多そうです。
開発者であり、ミュージシャンとしても活動するありぱぱPさん(先日、私が行ったライブでの写真)
最近では本人名義でのソフト開発も行っており、昨年、センセーショナルに登場したのは、VOCALOID3 EditorをReWire化できるというV3Syncです。かなりの技術力とアイディアがないとこんなことはできないのでは…、と思った次第ですが、そんなすごいソフトをフリーウェアとして公開してくれたことには、本当に驚くとともに感謝でした。
その、ありぱぱPさんが7月23日にリリースしたソフトがVR-08というTR-808シミュレータです。フリーウェア版とシェアウェア版があるのですが、これまであったTR-808ソフトとは音質の面でちょっと違うぞ、というもの。とにかくTR-808の音に極限まで近づけたというのです。
※追記
2013年9月16日のアップデートで、TR-808に加えTR-909にも対応しています。
簡単に概要を紹介すると、これはWindowsの32bitおよび64bitにネイティブ対応したVSTインスゥルメントのプラグイン。見た目はとくにTR-808そっくりというわけではありませんが、ありぱぱPさん所有のTR-808を高精度にサンプリングして作ったPCM系のドラム音源です。
実機のTR-808の場合は、ステップシーケンス機能が搭載されており、それが大きなポイントになっていますが、VR-08はステップシーケンス機能は持たずDAW側のMIDI機能でドラムパターンを作っていき、VR-08はあくまでも音のみにこだわるというコンセプトになっています。
見た目はほとんど同じ無料版のVR-08 Free。 いくつかの機能制限がある
誰でも無料でダウンロードできるVR-08 Freeと、有料のVR-08 Proがあり、このVR-08 Proで本領を発揮するという形になっています。その違いは以下の表のとおり。
機能 | Pro | Free |
サンプルレート 44.1kHz 対応 | ○ | ○ |
サンプルレート 22.05kHz~192kHz対応 | ○ | – |
44.1kHz最適化サンプルセット (2,314波形) | ○ | ○ |
48kHz最適化サンプルセット (2,314波形) | ○ | – |
88.2kHz最適化サンプルセット (2,314波形) | ○ | – |
96kHz最適化サンプルセット (2,314波形) | ○ | – |
16楽器 ステレオ独立出力/グループ出力 | ○ | – |
複数のVSTiを同時起動 | ○ | – |
Pro版とFree版の違い
簡単にいえば44.1kHz固定か、96kHzなどの高音質で利用できるかという点と、各音色ごとのパラ出力ができるかどうか、同時に複数起動できるかなどの3点がProとFreeの主な違い。個人的には、高音質版というのに非常に興味があったのと、これまでありぱぱPさんにはいろいろなところでお世話になっているので、Pro版を購入してみました。
価格は3,900円が基本なのですが、TwitterでありぱぱPさんをフォローしていれば、2,900円、ボカロPなら2,900円、ありぱぱPさんの音楽CDを購入したことのある方なら2,500円など、いろいろな割引があるのも面白いところです。
アップグレードして有料版にすると右上のロゴがVR-08 Proに変わる
実際に鳴らしてみると、なるほど確かにTR-808の音がします。Free版だと44.1kHzのサンプリングデータのみがバンドルされていて、Pro版で96kHzで利用するためには96kHzのデータをダウンロードしてインストールする必要があります。そのほかにも48kHzデータ、88.2kHzデータなどがあるので、必要に応じてインストールして使います。
フリー版の場合96kHzなどのプロジェクトにおいては利用できない
ただ、音にこだわっているだけあって、データ量、かなり大きいです。ZIP圧縮したデータ全部で3GB程度になるので、その点は覚悟が必要ですよ。
とはいえ、動かしてみると非常に軽いのにはビックリ。フルに鳴らしていてもウチのCore i7のCPU負荷は1%程度でしたからね。気持ちよく、そして小気味よく鳴ってくれます。
でも「いい音ですよ」というだけでは、なかなかニュアンスは伝わらないかもしれません。そこで、どんな技術で実現しているのか、詳細をありぱぱPさんに語ってもらいました。ちょっと難しい話になってくるので、ここから先は興味のある方だけ読んでいただければと思います。理論や技術はどうでもいいから、TR-808の音を手元で再現したいという方は、まずはVR-08のサイトからFree版を入手して使ってみてください。きっとPro版も欲しくなると思いますよ。
【VR-08のダウンロード先URL】
http://dgo.xsrv.jp/vr08/
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さて、ではVR-08の音へのこだわりについて聞いてみたところ、ポイントは以下の3点とのこと。
1)波形の立ち上がり部分のスムージング
2)開始位置の検出
3)808の出力には超音波成分がふんだんにふくまれていること
とのことです。なにやらずいぶんマニアックな感じですが、話を聞いてみましょう。
808のサンプル音源は巷にあふれていますが、 一般的には どれを聞いてもデジタル臭い 堅い感じのする音のものばかりです、実機のTR-808の音はこんな感じでかったず…と思うことも多かったように思います。そのような中、既存の808音源として比較的実機の音 に近いとの評判のWave AlchemyのTransistor Revolutionを買って研究してみました。確かに一般的な808サンプリング・ネタと比べると、実機に近い感じはでていますが、それでも手元の実機を持って普段から使っているボクにとっては、デジタル臭いと感じる音ではあったのです。そこで、なぜデジタル臭いと感じるのかを波形などを使って分析しながらVR-08の音を作っていきました。
まず「波形の立ち上がり部分のスムージング」についてですが、既存のサンプリング808音源を聴いたときに「デジタル臭さい」と感じさせる大きな要因のひとつは、急激に立ち上がる波形への対処方法だと思っています。以下がTransistor RevolutionとVR-08のBassDrumの波形です。
上がTransistor Revolution、下がVR-08のBassDrum波形
TR-808のBassDrumの波形の立ち上がりは、かなり急角度で上昇しています。これは太鼓の胴鳴りのほかに、打音を模倣した高い周波数の信号がミックスされているからなんですね。上の2つの波形、ほとんど同じように見えるかもしれませんがその立ち上がり部分を拡大すると、違いが見えてきます。
立ち上がり部分を拡大するとこんな違いが見えてくる
Transistor Revolutionの波形の立ち上がりはアナログ波形のように、無音の状態から素直に立ち上がっているのに対し、VR-08では少し手前に小さな上下の振幅が見えるのが分かると思います。もちろん、実機のTR-808にこんな振幅はありません。
さて、ここで問題。最終的にこれらデジタル波形がDACとスピーカーを通して音声になったとき、どちらがオリジナルのアナログ音に近く聴こえるでしょうか?
アナログのまま、つまりサンプリング周波数(時間軸の離散処理)とう概念がない状態ならば、素直にそのまま立ち上がることに問題はありません。振幅が急激に変換することは、そのこと自体がその音の性質を決める重要な要素であり、なるべく忠実にその形を再現すべきです。しかし、ボクらが扱わなくては鳴らないのは、あくまでもデジタル波形です。波形の立ち上がりが急激であれば、あるほどそこには高い周波数の成分がより多く含まれていることになるのです。このBassDrumのように1、2サンプル間隔で無音から-15dBFSくらいまで急激に立ち上がる音声には、その瞬間に多くの高周波数成分が発生しています。44.1kHzで扱える上限周波数である22.05kHzを軽く超える高周波がこの一瞬だけに多量の発生しているからこそ、この急激な傾斜を実現できるのです。
でも波の形だけを維持したまま、44.1kHzのサンプリングデータとして保存、再生してしまうと、オリジナルに含まれていた22.05kHz以上の超音波成分のすべてが折り返しノイズ=エイリアス成分としてまざりこんでしまうことになります。このBassDrumでいえば、アタックの「プチッ」という音にオリジナルにはなかったはずの、しかも可聴域ノイズが混ざってしまうのです。
もちろん、Transistor Revolutionもこの件についてはそれなりの対処は行われているでしょう。通常はローパスフィルターを用いた処理で折り返しノイズを除去しているはずですから。
でもVR-08の波形素材を作成するにあたり、この点に非常に重点をおきました。VR-08で仕様されている2,000個以上のすべての波形には、通常の音声処理ではあまりつかわれないような非常に高度で処理に時間のかかる正確なフィルタを開発し、このほんの一瞬だけ発生する折り返しノイズを可能な限り正確に除去するように処理を行っているのです。その処理の残骸(?)が先ほどの小さな振幅なのです。この部分の22.05kHzジャストより高い成分をほぼ完全に除去したため、22.05kHzぎりぎりの成分だけが少し残っている状態です。
耳で聴いているときは、本当に一瞬だけのごくわずかな違いですから、1回2回の発音では違いは分から程度の微妙な差です。しかし、ドラムという楽器は1っ曲の中で何百発、何千発も繰り返し、トリガされるため、このわずかな違いが数多く繰り返される結果、聴き手にもその差が少しずつ蓄積され、デジタル臭さやアナログっぽさを感じる一因になっている、というのがボクの考え方です。だからこそ、デジタル臭さを少しでも抑えるために、この一瞬にこだわってみたのです。
2つ目のこだわりは、「波形の開始位置の検出」です。楽器波形の立ち上がり位置の検出にも相当気を使ってみました。たとえば、「BassDrum波形の、いったいどの部分が本当のBassDrumの音の開始位置なのか」という詮索です。実際には96kHzでサンプリングしているので、開始位置の精度は
1秒÷96,000=約10.42μ秒
です。でも、これで本当にいいのでしょうか?
VR-08ではあえてここで妥協せず、96kHzの波形をさらに65,536倍でリサンプリングし、約0.16ナノ秒単位での発音開始位置を検出しています。
実は素材録音の際には、楽器の音声信号と同時にTR-808本体から同時に出力可能なトリガ信号も同時に記録しています。このトリガ信号も同様の制度の処理で真の立ち上がり位置を検出し、さらにトリガ信号の立ち上がり位置を基準にしてすべてのがきの波形の正確な開始位置をナノ秒精度で決めているのです。
この作業により、ひとつの楽器ごとに数十~数百回サンプリングを繰り返して集めたすべてのテイクの波形の開始位相を、完璧に揃えることに成功しました。このことは演奏時、2つ以上の波形を合成して中間音を作る際に重要になっています。もし1サンプリングでも波形がズレている似た2つの波形を混ぜてしまえば本来のTR-808の音には存在しない成分が発生してしまいますから…。これを防止するためにVR-08では、位相のズレを理論上、
1秒÷96,000÷65,533=約0.16ナノ秒
にまで押さえ、位相が完全にそろった状態で波形合成を行っているのです。
そしてもうひとつこだわったのが、超音波についてです。実機であるTR-808を96kHzでサンプリングしたものを周波数分析すると、下の図のようになります。
実機TR-808の音を周波数分析していると、高周波成分=超音波成分が非常に多く含まれているのが分かる
これを見ると分かるとおり、30kHzを超える超音波成分が多く含まれていることが分かります。このことが、実際の音楽制作においてクリエイターに多くの刺激を与えているのではないかと思います。もちろん、最終的にCD化される場合、こうした成分は消えてしまいますが、制作過程においてはいろいろ影響があるのではないでしょうか?
実機のTR-808を使った音楽制作環境になるべく近い状況で作業してみたいのであれば、ぜひ超音波成分を多く含む96kHzのサンプルセットを使ってみてください。
【関連サイト】
VR-08 TR-808 Simulator VSTi
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